Rumina_Kの日記

如月 ルミナです

私が体験した性的被害の記憶①-7歳になるまで-

前回

そもそも、私の生い立ちがイレギュラー過ぎたというか、きっと母のほうが波乱万丈だったんだと思う。

母は、幼いころ外国に住んでいた記憶があって、小学生になる頃には日本に住んでいて、それでも何かの事情で家族は全員自ら命を絶つことを選んだとのこと。

不幸中の幸いか、母だけは命が残り、家族を知らないまま育って、いつのまにやら体を使ってお金を稼ぐようになっていたそう。きっと、母も母で、自分の人生をコントロールなんてできなかったんだと思う。

 

そのうち、母は妊娠し、私はを出産することになる。母が22歳の出来事。

私は「母の仕事のお客さんがパパだよ」と聞かされていただけで、実際のところはわからない。私は実の父を知らない。

 

私の幼少期の記憶は、母と二人の思い出がたくさんある。お金はなかったけど、快活な人で、昼も夜も働いていた人だったと思う。私はというと、近所に仲のいい子はいたけど、家で一人で遊ぶのも好きで、絵を描いたり、粘土で何かをつくったりして、母によく見せていた。

人形で遊んだり、歌を歌ったり、踊ったりも好きだったと思う。

 

そんなある日、私は母のお腹が膨らんでいるのに気付いた。気付くのはだいぶ遅くて、多分7,8か月だったんじゃないかな。そのうち、妹が生まれた。私は5歳になっていた。

もう一人家族ができるのはとても不思議な感じで、でも心がすごく温かくなったのを覚えている。

 

妹も実父がわからないし、母がどこの男と関係を持ってそうなったのかも私はわからなかった。でも、自分にもパパはいなかったし、不思議と気にならなかった。子供ってそんなものなのかもしれない。

 

ただ、妹が生まれてから、母は体を壊し、以後は次第に元気がなくなっていった。

 

私は、妹ができたことで、立派なお姉さんになることが人生の目標になった。よく、赤ちゃん返りなんてのもきくけど、母親に甘えたいとかそういうのはなくて、母に負けないくらい、妹に甘えてもらえる存在になろうと思っていた。

何が私をそう思わせたのかはわからないけれど、父親不在の女3人の家族で、体調の悪い母と、非力な赤ん坊の妹。そんな中で、自分ができる限りのことをしないといけないと感じていたのかもしれない。

 

でも、今思うと、あんなに元気だった母が弱っていくことが、きっととても怖かったんだと思う。自分ががんばれば、きっと母は元気になれる。そんな希望を自分の中に作っていたのかもしれない。

 

私は母に変わってできる家事は何でも覚えようとした。母も褒めてくれたし、私がやれば、その分、母は妹の隣にいれた。私は母と妹が一緒にいる姿が好きだった。

 

でも、母が思うように働けないということは、当然ながらお金は足りなくなるわけで。当時は貧しいということがわからなかったけど、今思えばとてもじゃないけど、十分な食事はとっていなかったように思う。

でも、当時の私は不幸だなんて思っていなかったし、たくさん笑っていたと思う。

 

月日は流れ、私はいよいよ小学生になる年齢になった。妹も2歳になる頃で、いろんなコミュニケーションがとれるようになっていた。

そんなある日、母に連れられ、ちょっと立派なお店で、知らない男の人と食事をすることになった。

 

最初の印象は、何でも聞いてくれそうな人だったかな。私は露骨に怖がっていたけど、きっと大事な場なんだと思い、お利口でいようと必死で、彼は、そんな私をたくさん褒めてくれた。

この人が、私の初体験の相手でもあり、初めてのキスの相手でもあり、私が初めて赤ちゃんを妊娠する相手でもあり、その後私が18歳なるまで数えきれないほど体を重ねる相手になる人だった。

私が体験した性的被害の記憶⓪

私は7歳~18歳まで、継父(血の繋がっていない母の再婚相手)から性的虐待を受けていました。

もちろん、このことはリアルでおいそれと話せるようなことではないし、リアルの知り合いや友人はそのことを知らない人がほとんど。

ネットでしか言ってないし、ネットでもあまり詳細には公開できないことばかり。

 

先日、私は大学を無事卒業できました。

といっても、私は就職を目指して大学に行ってたわけでもなく、自分のやりたいことをやる、学びたいことを学ぶ。そんな自分が好きに選んで、選んだことを頑張れる、そんな人生を味わってみたかったというのが本音です。

 

でも、それは端的な希望であって、今思うと、自分の中に、何かまともな部分が残っているんじゃないかな、ごく普通の女の子として生きる姿を、自分自身で確認できるんじゃないかな。そんな思いもあったんだと思います。

 

とりあえず、妹が今年高校3年生なので、今年一年は妹のサポートをしながら、もう一度自分自身を見つめ直してみようかなと思っています。要は、なにもかわらず、ソープランドの風俗嬢を続けるってことなんですけどね。

 

ただ、卒業して、なんとなく自分の過去にじっくり向き合うことも必要かなと思い、いろいろなことを書いていこうかと思う次第です。

 

私は動画で記憶する、少し珍しいタイプで、覚えていることは、視覚・聴覚・嗅覚・触覚で記憶していて、当時の様子を動画で再生できます。とういか、動画でしか記憶できません。

 

楽しい記憶は、みんなより少しお得かもしれませんが、辛い記憶も容赦なく当時のまま再生されます。18歳で家を出て、性的虐待から解放された後も、あらゆる記憶が不意に再生される日々が続いています。

 

その処理と整理も兼ねて、少しずつ記憶の動画を文字に出力していこうかと思います。

継父の妻だったと思い込み切れない理由

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そう思いきれないのは、他の男性の相手をさせられたこと。
そして、レイプで妊娠したのをきっかけにボコボコにされたこと。
どう考えても道具でしたかなった。


こんな継父でも、レイプで妊娠するまでは普通に行為の途中で体調の心配とかもしてた。
これを言うのは怖いけど、私は笑顔でやっていたし、他の男性より優しかったから、安心感すら覚えていた。


結局、家出したのって、7歳からアチコチ触られてたとか、11歳から本格的な関係を持たされたとか、12歳から他の男性の相手させられてたとか、そういうのがメインの理由じゃなくて、「優しく抱いてくれる父がいなくなった」からなんだよね。

そもそも私は体を触られること自体、スキンシップだと思って疑ってなかった。これは性的虐待を受けている子どもに多いことらしいけど、「自分が虐待されている」って気づかないんだよね。幼いときって。

ただ、なんか「気持ち悪い」っていうのはあって。そう思えて、おかしいって確信できるはずのタイミングで母が亡くなって、「お母さんの代わりにならなきゃ」って思ってるところに、「お母さんもやってくれていたから」とフェラや手コキの要求が始まって、「余計なことを考えずになるべきことをやらないといけない」ってなって、なんか気付いたら毎週セックスするようになってた。

もし、知人男性の相手をさせられなかったり、レイプされたり、そういうことがなかったら、私は今も継父の相手をしているのかな?

でも、妹にはそういうことをさせたくないっていう気持ちはある。でも、今でこそあれが虐待だったって認識できてるけど、できてなかったら、もしかしたら嫉妬心からそう思うのかもしれない。そのへんはよくわからない。そこまでは自己分析できてない。

私が今だに過去のトラウマから精神を病むとき、セックスで気持ちを落ち着かさせるのをやめられないのは、「優しく抱いてくれるパパ」が欲しいのかもしれない。そういう感じの指摘はときどき目にする。

ただ、今の私にとって継父はそういう存在じゃないから、「そうじゃないよ」って言いたい。でも、小中学校くらいまでの、あのときのセックスを考えたら、否定はしきれなくて。でも否定しきれない自分を汚らわしく思う自分もいて、別の自分も「あれをひどい虐待として扱え!」って言っていて、でも別の自分は「当時そう感じていたならそれでいいじゃない」と言っていて、さらに別の自分は「今を楽しむことに集中すればいい」とも言っていて、自分の中でいろんな自分の議論が激しくなるとどんどん病む。

気付いたらセフレとベッドの中。

でも、継父との関係の記憶に関するぐちゃぐちゃだから、セフレに継父の代わりを求めているわけじゃないと思う。実際、全部忘れられるセックスをした後は、継父のことなんてだいぶ薄くなってるし。だからこそ、これが間違ってるとは思えないんだよね。

「過去にケリをつけたいの?」といえばそうだけど、でも、まるっとまとめてしまうと、母親のことも含めてナイナイしちゃうことになるし、幼い妹もそこにいて、今の私が生きようと思える理由もそこにあって、多分全部まとめてケリつけたら、私はまた死のうとすると思う。今の自分に生きてる理由を見つけてないから。

だからたぶんしたいのは、整理。定義付け。タグ付け。コレはコレ。ソレはソレ。多分、記憶にある何百っていうセックスにそれをしていかないと、前には進めないんだと思う。

自分が肯定的だったのか否定的だったのかすら、まだあいまいなんだもんね。まぁ、それを認識できる年齢じゃなかったんだろうし、継父もそれを狙ってたんだとは思う。ある意味純粋だった。その幼い私に、汚れを知ってる自分が「それって汚いよ」って言っていいのかどうか……。

いまだに継父の匂いを思い出すと、安心感すら覚える。

私は大人

何かについて話したり書いたりすると、実年齢を疑われるのは、Quoraでもリアルでも同じ。きっと、人は頭の中で勝手に「○歳はこう」、「大学生はこう」っていう設定を作って生きてるんだろうなって思う。

一方の私は昔から賢く見せるのが上手いんだと思う。

というか、私はまっすぐ子どもだった記憶があまりないかもしれない。

母と2人で生きてたときは、きっと子供でいれたけど、妹が生まれてからはまっすぐ子どもではいれなくなった。

母と私と妹で暮らしていたときは、とても貧しかったので、妹がちゃんとご飯を食べられるかどうかがとても心配だった。

思い返せば、母はそこまで妹を気遣っていただろうか?とも思う。

私は母が好きだったから、無意識に私から妹への気持ちは、母も同じだと思っていたけど、実はそうじゃなかったかもしれないと最近思う。

妹が赤ちゃんのときは、もちろんちゃんと母としての役割を果たしていたけど、体調を悪くしてたから、簡単なお掃除とか、できることは就学前の私もやっていたし、小学生になってからは、いよいよ一人前になる気分でいた。教室にいた周りの子たちは、酷く幼く見えた。

しばらくして継父と一緒に住むことになって、妹がちゃんとご飯を食べられるか心配することはなくなって。

でも、その頃を境に、妹への母の関心はより一層薄くなっていったと思う。愛情を持って接してないわけじゃないけど、主に妹の隣にいるのは私になった。それは、母から私への信頼なのかもしれないし、心身共に母は限界だったのかもしれないし。

妹は放っておいても一人で遊ぶ子だったけど、私は一人のまま放っておいてはいけないと思った。それが姉として妹に抱く愛情なのかはわからない。ただ、「楽をしてはいけない」と思った。妹は放っておいても一人で遊ぶんだから、自分は好きなことをすればいいって思えなかった。

それは、継父の存在も大きかったのかな。悪感情は持っていなかったけど、心のどこかで警戒していたのかも。

結局、学校の友達だって、私は「どうやったら同世代っぽく振舞えるか」ばかり考えた。基本、クラスの友達の話はつまらなくて、なぜそんなものに夢中になれるのかわからないことだらけ。それでも、「友達と仲良くしましょう」、「みんなで遊びましょう」っていうのが学校の正義だったし、それを無視したら、先生が「できない子」のレッテルを張る。

そうすると、母親や妹にも面倒がかかる。だから、一生懸命「先生が笑顔で観れる子ども」を演じた。言い変えれば、常に自分を客観視してた。クラスの友達だけでなく、担任の先生がなぜそんな事を言うのか、その心理分析をして、一番喜ばれる答え方を考えてた。

 

母が無くなって、小学高学年になる頃には、親友だと思える子もいた。でも、結局のところその子が喜ぶ自分を一生懸命作っていた。その頃、もう継父とは関係を持たされていたし、自分は大人になったと思っていた。同時に、周りの子たちとは違う存在になったとも感じていたし、自分と同じように”経験”のある親友は、秘密を共有できた。それでもやっぱり、無邪気でまっすぐな子どもの自分をぶつけ合って親友に慣れてるわけじゃなかった。

お互いそうなのかもしれないけど。心のどこかで、自分に生きる価値がないと感じたくなかった。親友と呼べる子がいる自分なら大丈夫だって。そう思いたかったのかもしれない。親友以外のクラスメイトは、全員腐って見えた。子どもの癖に大人であるかのうように振る舞い、でも、それが逆にひどく幼く見えた。セックスを経験してないからだと思ってた。

でも、経験があるから大人になった、みたいな優越感をもっていたわけでもなくて。なんというか、大人になることは、子どもであることの「死」であって、たくさんのものを失った感覚は大きかったと思う。だからこそ、大人になるっていうのは、自分らしさを可能な限りそぎ落としていって、周りの大人たちが喜ぶ自分を演じることだと思うようになった。

それが、セックスによって大人にされた自分の義務だと思ってた。そして、そんな自分でいることが、母がいないこの家庭を温かい場所にするため。そして、小学生になる妹が元気にやっていくために必要なことだって思ってた。

自分自身が異常な状態にあるとは考えてなくて。そんな余裕がなかっただけかもしれないけど。ただ、周りの子とは違うのはわかってた。違うことを自分の価値だと考えてた。妊娠の陽性反応が出たり、継父以外の男性たちの相手をしたり、クラスの子と違うってことに価値があると考えないと、たぶん耐えられなかった出来事が続いて、私は自分だけの世界を造るようになって。

きっと、小学生が普通は読まない本を読んでいたのも、現実逃避以外にも、「周りとは違う自分」を作るのに必要なことだと思っていたからなのかもしれない。読書は好きだったから、手を伸ばしやすい材料でもあったかな。

 

中学生になると、そんな自分を徹底的に否定されるように感じるイジメの対象にもなったけど、サンドバッグにされることを受け入れるのが大人だと思ってた。抵抗するのは子供っぽいと思ってた。イジメてくるのも子供だから。ただ、無関係の子を巻き込むのだけはイヤだったから、それだけは「やめて」とお願いした。聞き入れてはもらえなかったけど。

それでも、イジメてた子にも私は優しくした。「ありがとう」と笑顔でいった。私なりのちょっとした復讐だったけど、「イジメられてる子の反応じゃない」っていう、普通とは違うっていう証明にしたかった。それでもイジメが止まることはなかったけど、どんなことをされても笑顔で対応できる自分が、どこか素敵に思えた。

そうしているうちに、ゴミのように扱われる自分が「自分らしさ」に思えて、不思議と笑顔が増えた。継父が連れてきた男性たちもそれを喜んでくれた。順調に大人になってるって感じた。これを続けていけば、隣で宿題のわからないところを尋ねてくる妹の姉として、役割を全うしていけると思ってた。

中3になってイジメもなくなって、少し人間らしさというか、「なにかをされて、それを自分の中で処理する毎日」から、「自分で良いと思えるものを選ぶ」っていう選択肢が増えたと感じていたさなか、マジにレ○プを経験して、妊娠して、継父にボコボコにされるようになって。

なんだろう、「家を卒業する時期」って感じた。大人になったと思ってたから、ずっと家にいると、こういう「ズレ」が大きくなるんだろうなって。

 

でも、本当に卒業できるのかは不安だったから、高校でバイトとか始めたんだけど、そこでも結局「男」って生き物は性的攻撃をしてくるんだなって知った。それが自分だけなのかはわからなかったけど、バイト先の店長には「お前はそういう体をしてる」って言われた。

向き不向きって考えるようにした。そう考えるが大人。「どうして自分だけ」なんて考えるのは子供のワガママで、そんなんじゃ妹の「お姉ちゃん」でいられないし、家も卒業できないと思った。

だから、たくさんお金をくれるパパを見つけて、毎月何日か一緒に「いいこと」をした。もちろんパパたちにもいろんな人がいたけど。いいパパもいれば、悪いパパもいる。でも、「これも大人になるための経験」って思った。

 

髙2で継父の赤ちゃんを妊娠したときは、障害だと思った。家を出れなくなると思ったから。継父は今度は私を殴ったり蹴ったりせず、満足気だった。気持ち悪いほど優しくなって、昔の継父のようだった。もし、性的虐待がなくてこういう継父なら、きっと私はずっとこの家にいるんだろうなって思った。同時に、私はこの人を心底憎んだりできないんだろうなとも。

心から憎んでいたら、どんなに優しくされてもいい気分にはなれないはず。それが、ちょっと優しくされたら、もうちょっとここにいていいって思えちゃうから。でも、それは甘えであって、子どもの考えで、大人になるにはこういうのを全部切り捨てないといけないと思った。継父が私の後ろで腰を打ちつけているときに。継父の部屋のテレビに映っていたのは「絶景が見れる温泉」特集だった。どうでもいいことはよく覚えているよね。

なんとか中絶手術は受けさせてもらえたけど、ここにいたらずっとこういうことが続くのはわかっていたから、私はお金を貯め続けて、家を出た。

未練はなかったけど、希望があったわけでもなく。ただ、妹のために大人にならないといけないと思ってただけ。逃亡じゃなくて卒業だと思ってた。高校は中退したけど、自分にとって「学校」というものが、人生の真ん中を走るレールじゃなくて、側にあるものだった。年相応らしくあるための付属品、肩書き。

人生の真ん中に学校があって、それに人生を重ねて生活している同級生たちは、子どものままななんだと思ってた。

私は元からそんなところは歩いてないし、隣を歩いている妹の姉でいるためには、そういう「普通」を歩いちゃいけないって思ってた。

 

大学はぶっちゃけ趣味というか道楽というか。「やりたいことは?」と尋ねられたら、それだったから。最初は疑わしかった。「自分の選択肢」を持つを事は、甘えで、子どもで。あとでまた「大人になるべき」と実感するなにかが起こるんじゃないかと思ってたから。

でも、私はほどなくして風俗嬢になったから、それは起こらなかった。自分の選択肢を選べるだけの代償を払えるお仕事で、これは「大人」だと思った。大人になったから、自分のしたいことをいくらかしても大丈夫。

それでも性的暴力をふるわれることはあるけど、大人でいる限り、私は「姉」でいられるし、「ちょっと普通の女子」や「賢い大学生」を演じる遊びも許される。

希死念慮の正体

冷静に考えて、毎月1回はある希死念慮の正体ってなんなんだろうね。

義父からの性的虐待からの逃れて3年は経つけど、やっぱりまだまだその影響が強いのかな。

 

個人的には性的虐待以外のレイプのほうがダメージデカいんだけどさ。心の準備してないから。OFFになってないときのレイプはダメージが大きい。

まぁ犯されてる途中でOFFにはするんだけどね。

「これは犯されるやつだ」って自分の状況を認知したときって、ムカデが性器から湧いて這い上がってくるような感覚。

逃げられない、もしくはこれ以上抵抗したら身体的危害を加えられるって認識したときは、諦めて心をOFFにして相手の要求を全部受け入れることにしてる。

私はこういうの慣れてるって。これは中学校入るまでには身につけた。

まぁ結局体が凍りついちゃうってだけであるんだけどね。

 

まぁこうやってパターン化して語れる程度には被害にあってきてるってわけ。

それが希死念慮につながってるのかはわからない。

でも、不思議と将来のことを考えた時に死にたくなるんだよね。

 

今まで何度も自殺未遂はあるけど、思いとどまったのは妹の存在。きっと、妹が私の元から旅立って離れるイメージもあるからかもね。妹がいなくなった私に生きる価値はないと思うから。

逆にそれを妹も感じてて、束縛になったらだめだと思って、妹が来年成人して高校卒業したら別れて住む提案したけど妹に拒否られたし。